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私の誕生日

3月8日の誕生日は、沢山の方々から途切れることなく祝メールをいただきました。一つ一つを読んでいくと心底から湧き出るものがありました。パワーを頂き最高の誕生日を過ごすことができました。有難うございました。

当日は、娘のあすかが松葉杖をつきながら近くのスーパーまでリックを背負って買出しに行き、夕ご飯を作ってくれました。スーパーに行くと店員さんが買物のサポートをしてくださったそうです。

あすか作ってくれたメニューは
 主食「炊込ご飯」
 主菜「白身魚のあんかけ」
 副菜「茶碗蒸」
で栄養のバランスが摂れた彩り鮮やかな献立でした。誕生日恒例の「茶碗蒸」が食卓に並んでいたので、思わずニヤリ!

亡母は、私の誕生日になるといつも茶碗蒸を作ってくれました。
4 人兄弟の末っ子に生まれた私は、この日だけは兄姉よりも多くの銀杏が入っていて満足でした。
親元を離れた大学時、亡母は茶碗蒸の絵葉書を送ってくれました。色鉛筆でぬられた葉書には「恭子ちゃん、お誕生日おめでとう」・・・それを見た途端、気がついてみると故郷にむかう特急電車「有明」号に乗っていました。
そして私も新しい家庭を持ち、
結婚して 1 年目の誕生日プレゼントは、一輪のバラの花
2 年目はブローチ
3 年目は何もありませんでした。
何かしら物足りない誕生日。そこで夫に茶碗蒸の話をするとスーパーからラミネートされた茶碗蒸を買ってきてくれました。満面の笑顔で食べたことを覚えています。それ以来、私の誕生日の食卓には、毎年茶碗蒸が引き続いて並ぶようになりました。

そして調理科の生徒達へ、授業の「ケの食事&ハレの食事」の単元でこの話をするようになり
小林西高等学校調理科の生徒達は、教室の黒板に、生徒の数の茶碗蒸の絵を描かいてくれるようになりました。しかも名前入りで銀杏の絵までしっかりと書かれてありました。
そして
日南学園高等学校調理科の生徒達は、修学旅行中に誕生日を迎えた私に、画用紙に書いた茶碗蒸をプレゼントしてくれました。ホテルのロビーで歌ってくれたバースデーソングは今でも耳に残っています。
そして退職の日、調理科 2 年生全員一人一人が茶碗蒸を作ってくれました。35 個の茶碗蒸を、涙を流しながら全部食べて、校舎を後にしました。
だから私にとっては誕生日は茶碗蒸なのです。

今では、娘のあすかが茶碗蒸しを毎年作ってくれます。
おとといの誕生日には、桜えびなどの春食材の中に銀杏が入っていました。
あすかの茶碗蒸は実家の亡母の味でした。。。